やばい、が成長の源。
人間(および組織)は、やばいにドライブされて成長できる。
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必要は発明の母。逆に、必要がなければどうなるか。
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事例:運送業界も危機感から動きが活発になっている。
- 若いうちは、ゆとりより困難を選ぶべき。
必要は発明の母。逆に、必要がなければどうなるか。
人間が本気を出すのはどんなときか。それは「やばい」と思ったときではないでしょうか。テスト前夜、上司に指摘された、自分の至らなさを知ったとき、などなど。これについては過去エントリでも書いています。
目標とのギャップを知るのがスタート。 - ta4ichi6’s diary
もちろん、やばいと思わなくても、自律的にぐんぐん成長するパターンもあります。ただこれは、いわゆる天才と呼ばれる人の、特殊なほうのパターンだと思っています。自分はこれに当てはまる、と言う人は、これ以上は読む必要ないでしょう。
事例:運送業界も危機感から動きが活発になっている。
最近運送業界では新しい取り組みが多く行われています。背景には、全国的な運転手不足があるようです。ここに危機感を持って、様々な施策(再編、提携、トラック以外の手段、など)が生まれてきているという流れのようです。
若いうちは、ゆとりより困難を選ぶべき。
事例は企業の話でしたが、個人に対してはどういう示唆が得られるでしょうか。
できるだけ困難な環境を選ぶべき、と言えるでしょう。ゆとりのある環境では、「やばい」と思う機会が圧倒的に少ないからです。
ゆとり教育が導入されたものの撤回されていましたが、教育は成長させるためにあるので、そもそもゆとりというコンセプトと合わないのだと私は解釈しています。
特に若いうちはそうでしょう。やばいを認識せずに過ごしている間に、他の若い人に挽回できないほどの差をつけられてしまうかもしれません。ただ、ある程度差をつけた側の人なら、人生のどこかのタイミングで、ゆとり側にシフトするのはありだともいえます。
ただそのためには、自分の限界というか天井を認識するという諦めと向き合う必要があります。これについては、また別の機会に。
それでは。