思考の単位としてのストーリー
思考を測る単位は何だろうか。
思考はとらえどころがない。どうしたら考えが進んだといえるのか?何を考えればいいのか?夢想と思考の違いは何か?
ここで最近自分考えている単位について共有したい。
思考の単位は、人に話せるストーリーである。
ストーリー例①
- キレキレ発言に必要な能力は、頭の回転速度と累積思考量である。
- 自分は前者が弱いため、後者で補う作戦を選んだ。
- 都度の課題リスト記入ルールを自分に課すことで、累積思考量を増やしている。
ストーリー例②
上に挙げたようなストーリーが、思考の単位にふさわしいのではないかと思っている。これが適切な理由はいくつかある。
- ロジックが背後に必要。
つまりストーリー作りには思考が伴うと言うことである。ストーリーはたいてい、「○○なので、△△」という形をとる。これはロジックそのもの。思考と読んでも差し支えない。 - 人間はそもそも物語を覚えやすいようにできている。
「語り継ぐ」という言葉があることが全て。物語という形をとれば世代を超えて伝達することすら可能。人間にとって一番扱いやすいフォーマットといえる。
いいストーリーは、共感できる。
もちろん、何でもかんでもストーリー形式になっていればいい、と言うわけではない。
- 覚えられるほどに抽象化されている
風が吹けば桶屋が儲かる、ということわざがある。あれもロジックのつながりである点ではストーリーである。妥当性に問題があるという趣旨のことわざであるが、それ以前にフォーマットとして物語としては欠陥がある。それは、長すぎるということだ。抽象化により3~4個程度の要素に取りまとめられていないと、人が理解するには難しい。 - そのとおり行けば上手くいきそうと思える
妥当性である。そのつながり無理ない?と思われたらいいストーリーではない。いわゆる論理的であることが求められる。 - 意志が見える
目的が存在することが必要。語り手や誰かの成し遂げたいこと、決断、が関わるとしまりが出る。それによってどうでもいいストーリーか大事なストーリーかが分かれる。
これらいいストーリーを作ることを意識するだけで、思考が前進するはずである。
いいストーリーは簡単に作れるものではない、適切な要素を切り出す抽象思考力や、適切な断定をする仮説思考力などが必要だと思っている。ストーリーを作っていくことで、これらの思考力も鍛えられていくはずだ。